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ルイ2世 (コンデ公) : ミニ英和和英辞書
ルイ2世 (コンデ公)[るい2せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ルイ2世 (コンデ公) : ウィキペディア日本語版
ルイ2世 (コンデ公)[るい2せい]

ルイ2世・ド・ブルボン(Louis II de Bourbon, prince de Condé, Duc d'Enghien, 1621年11月8日 - 1686年11月11日)は、ブルボン朝フランスの貴族・軍人。コンデ公アンギャン公モンモランシー公大コンデ(le Grand Condé)と呼ばれる。
ブルボン家の分家に当たるコンデ公アンリ2世シャルロット=マルグリット・ド・モンモランシーアンリ4世の愛妾、アンヌ・ド・モンモランシーの孫)の長男。テュレンヌ子爵又従兄弟、リュクサンブール公フランソワ・アンリ・ド・モンモランシーは遠縁に当たる。
== 生涯 ==

=== 青春期 ===
19歳で三十年戦争に従軍して戦い、1642年に21歳でフランス宰相リシュリューからフランドルスペイン領ネーデルラント)方面司令官に任命され翌1643年にネーデルラントへ進軍、ロクロワの戦いで老将フランシスコ・ダ・メルロが率いる2万6千のスペイン軍を劣勢の兵力で包囲・撃破した。これほど華やかな勝利はフランスにとって100年来のことと評され、全ヨーロッパの尊敬がスペイン軍からフランス軍に移っていった。同年に神聖ローマ帝国ドイツ)へ移ってモーゼルを攻略し、ドイツ軍をライン川の対岸へ退却させた。
1644年にテュレンヌ子爵と共にドイツへ進み、バイエルン選帝侯マクシミリアン1世の部下でバイエルン軍司令官フランツ・フォン・メルシーフライブルクの戦いで激突、大損害を負いながらも勝利した。この戦いでは指揮棒を敵の堡塁へ投げこみ、白刃をかざしてコンチ聯隊の先頭に立って突撃し、それを取り返しに行ったという逸話がある。
1645年に再度テュレンヌと合流してネルトリンゲンの戦いでメルシーを討ち取り勝利を収め、1646年にはスペイン軍の目の前でダンケルクの要塞を包囲する。さらに1648年8月20日アルトワ地方のランスを攻撃していたドイツ・スペイン連合軍と戦い大勝利した(ランスの戦い)。この戦いに先立ちテュレンヌが5月17日ツスマルシャウゼンの戦いで大勝を飾ったため、コンデ公は三十年戦争でのフランスの勝利を決定づけた。1646年に父が亡くなったため、コンデ公・モンモランシー公位を継承した〔ヴォルテール、P36 - P40、ウェッジウッド、P489 - P497、P502 - P503、P524 - P525、P543。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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